企画展「描かれた肌-石本正 美の視点-」作品解説

 

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【1】

第1章 おんなの肌

日本画家石本正にとって女性は聖なるもの、美しいものの象徴でした。特に女性の血管が透けるような白く美しい肌への興味は尽きることなく、さまざまな視点でとらえ、深いこだわりを持って描き続けました。

【2】
1.かげろうのようなほのかな雰囲気を漂わせながら…

石本が求める理想の肌は、次のようなものでした。

「女性の肌は透けている。皮膚そのものが透けていて、すぐ下を静脈が通り、血液が脈々と流れている。それをリアルに表現したい。といっても生身そのままを描くということではない。かげろうのようなほのかな雰囲気を漂わせながら、しかも脈打つ血液を透けた皮膚の中にもつ、そういう肌を描きたいと思うのだ。」
石本正「私の裸婦」『藝術新潮』1979年12月号

彼はただ写実的に光と影をとらえるだけでは、この理想の肌に近づくことはできないと考えていました。鉱石由来のザラザラした日本画の絵具の特徴を生かし、写真のようなリアリズムとも違う、もっと精神的に高めた別次元の肌を描きたかったのです。
こうした思いで描かれた石本の裸婦像は、一見するととても立体的でリアルにも見えますが、光と影の部分を描き分けた分かりやすい立体表現ではないことや、厳選した絵具だけを使った薄塗りによってリアルな肌の質感を出しているなどの大きな特徴があります。
 

 

 

【3】
「宵待草」
2005(平成17)年  本画

竹久夢二は石本が好きだった画家のひとりでした。夢二の作品の「画面に漂うそこはかとないポエジイ」に無性に引き付けられたのだそうです。夢二は大正ロマンの儚げな女性像で広く知られていますが、絵画のほかにも詩やデザインなども手掛けた多彩な芸術家でした。その夢二の「宵待草」という詩にイメージを重ねたのがこの作品です。恋焦がれる恋人の訪れを待つ女性の姿を描いています。
 

 

 

【4】
【画家の視点】隠花(いんか)植物を思わせる肌
中世時代のヨーロッパで描かれた絵画の中に、石本が好きな女性像がたくさんあります。例えば、ヒエロニムス・ボスの《悦楽の園》の中のエヴァ。生まれたばかりのエヴァの姿は、ほっそりと華奢(きゃしゃ)で東洋的な体つきに、少し青白くも感じられる透明感のある肌で、その汚れのない清純な様子が表現されています。
触れるとスッと溶けて消えてしまいそうな透明感。石本はこうした女性の肌を、日の当たらないところでひっそりと育つ隠花植物のようだという印象を持ち、そのはかなげな様子に憧れていました。
ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)《悦楽の園》部分

 

 

【5】
「姉妹」
1979(昭和54)年  本画

本作に描かれた二人のうち、とくに右側の赤い着物を身に着けた女性の方は、あえて両手がすこし長く描かれています。ボスが描いたエヴァのような、透明感のある華奢(きゃしゃ)な少女像にイメージを重ね、「可憐な、それでいて大人」というアンバランスな様子を表現したかったのだそうです。
透明感のある肌は、左右の女性でそれぞれ微妙な色の違いを描き分けています。「姉妹」というタイトルから、より白く美しい肌で大人っぽく髪を結い上げた左側の女性が姉、体つきが華奢で健康的な肌色の右側の女性が妹というイメージで描いているのかもしれません。

 

 

 

 

【6】
「クラナッハの女」
2008(平成20)年  本画

ルネサンス期のドイツを代表するルーカス・クラナッハも、「隠花植物」を思わせる儚げな女性像を描いた画家として石本が憧れていた一人でした。クラナッハの女性像は、乳房が小さく手足や胴が長い独特なプロポーションをしています。この作品では、「クラナッハが日本女性を描いたらどうなるだろうか」と想像しながら描いたため、肌の質感だけでなくプロポーションも、クラナッハのイメージに近くなっています。

 

 

 

 

【7】
2.うすものを透して見える肌

うすく透ける布の向こうにかすかに見える肌。これも彼が魅力を感じていた女性美の一つです。50代後半頃からうすものをまとった女性像を描くようになりました。この表現には、若い頃からずっと憧れていたサンドロ・ボッティチェルリの《春》に描かれた三美神のイメージが重ねられています。
ボッティチェルリは初期ルネサンスの時代に活躍したイタリアの画家で、きめ細やかで美しい肌の表現で有名です。初めてイタリアに行ってボッティチェルリの本物の作品を目にしたとき、石本はその肌の美しさに深く感動しました。特にまとったうすものを透してみえる女神の肌は、光と影の関係をとらえるだけでは表現することのできない、肌そのものの透き通った質感を描き切っているように感じられました。以降、自分が描くヌードもボッティチェルリに至らせたいと願いながら、うすものをまとった女性像を描いていました。

 
 

【8】
【画家の視点】うすものの魅力
うすものを透してみえる肌の表現は、中世ヨーロッパのボッティチェルリだけでなく、古代ギリシアやエジプトの彫刻や絵画、日本の絵巻物や浮世絵などでもみられる世界共通の表現です。石本は、このことについて次のように語っています。
「遥かな昔からうすものの巧みな表現を知っていたのだと思い知らされる。ということは、うすものの魅力を知っていたのである。全部見えるよりはちょっと隠れていた方がいい、うすものを透すことによって見えながら隔てられる、という微妙な感情を、彼らはよく知っていたのだ。」
石本正「おんな」『藝術新潮』1978年5月号

《ルドヴィージの玉座・ヴィーナス誕生(部分)》紀元前460頃/ローマ国立博物館

古代エジプト彫刻《供物を運ぶ女》紀元前3800-1710頃/ルーヴル美術館

 

 

【9】
3.舞妓の肌

 女性美を表現した石本の作品の中で、とても印象的な題材の一つが舞妓です。舞妓はあでやかな着物を身にまとい、結い上げた日本髪をかんざしで飾って、とても美しく華やかな印象があります。しかし彼が出会った舞妓の中には、親元を離れ田舎から出てきたばかりのあどけなさの残る少女達もいました。白粉で美しく化粧をしていても、彼女たちの手は日に焼けたような浅黒さが残っていました。どこか未完成でアンバランスな風情に惹かれ、美しい外相の奥にある心の内も表現したいという気持ちで、舞妓を描くようになりました。
そのため、肌の描き方には特にこだわりがみられます。顔や首筋は最初に肌の地色を塗ってから、まるで本当に白粉でお化粧をしてあげるように胡粉という白い絵具を上から重ねています。とはいえ顔は肌色の部分も多く、人形のような本物の舞妓の美しさとは少し違った、独特のリアルな人間味を漂わせています。目に映るそのままを描くのとは違う、画家心の眼に映る舞妓の姿が表現されていることが伝わってきます。

 
 
【10】
【画家の視点】舞妓の肌のヒント
石本正が好きなものの一つに「人肌の大日如来」と呼ばれて親しまれている仏像があります。それは中尊寺(岩手県)の秘仏・一(いち)字(じ)金輪仏(きんりんぶつ)頂(ちょう)尊(そん)です。平安時代につくられたという木彫で、顔は肌色ですが、上半身には白い彩色が施されています。その白い絵具の下からうっすらと木目が透けて見える様子がとても肉感的で、白粉を塗った舞妓の肌も連想させます。この仏像を見て感じた魅力を、石本は「日本的エロティシズム」という言葉で表現し、舞妓の肌を描くヒントの一つになりました。

 

 

【11】
「舞妓ほたる」
制作年不詳  素描

舞妓を作品にするにあたり、祇園に出かけ舞妓をモデルにたくさんのデッサンをしました。本物の舞妓を目の前にしながら描いた石本のデッサンからは、彼女たちがあどけなさを残す少女たちであることがはっきりと伝わってきます。デッサンを通して彼女たちの奥にあるものを掴もうとする、石本のまっすぐで真摯な姿勢がみえるようです。

 

 

 

 

【12】
4.かいま見える肌

 着物のすき間からチラリとかいま見える素肌。これも石本の作品によく見られる表現です。これは「部分を出すことで全体を暗示する」という彼のこだわりでした。しかし、肌の一部を見せるだけで身体全体の自然な美しさを表現するためには、確かなデッサン力が必要です。彼は、対象の本質をつかむために若い頃からデッサンを重視し、とくに40代から70代頃はほぼ毎週アトリエにモデルを呼んでヌードデッサンを繰り返していました。その枚数は優に一万枚を超え、晩年の90代の頃には「たくさんモデルを描いてきたから、見なくても描ける」と言っていたほどでした。
また女性の着物には自身でデザインした模様が丁寧に描かれていますが、身体の立体感に沿わずあくまで平面的に描かれています。この平面的な着物と、隙間から見えるリアルな肌との間に対比がうまれ、肌をより印象的にみせています。
この〝部分だけを見せる″魅惑的な肌の表現は、何万枚ものデッサンをし、女性美を徹底的に知り尽くしていた石本だからこそ描くことのできたものと言えるかもしれません。

 
 

【13】
「回想」
2001(平成13)年  本画

左側に一緒に並べたデッサンと見比べてみてください。デッサンの方では腰から下は肌があらわになっていますが、こちらの本画の方では身体はほとんど薄い衣におおわれ、太ももの部分だけがすき間からチラリと見える表現に変わっています。石本は、このほかにも似たポーズで何枚もデッサンをし、そのうえで本画を描いています。このため、身体のほとんどが衣で隠れていても身体の形があいまいにならず、とても自然な表現になっています。
また、肌はほとんど見えていないのに、ポーズや表情だけで何とも言えない色っぽさがあり、視線の先にあるものや想いなど、この女性の物語を想像してしまいます。

 

 

 

 
【14】
【画家の視点】朽ちても朽ちぬ美しさ
石本が好きだった東大寺(奈良県)の弁財天(べんざいてん)立像(りゅうぞう)。これは、国宝として有名な不空羂索(ふくうけんじゃく)観音像(かんのんぞう)とともに法華堂に安置されていた仏像の一つです。全体的に破損が激しく、頭部や顔も大部分が欠損していました。しかし、石本はこの像について次のように語っていました。
 「頭部の左側や頬の右部分の塑土は剥げ落ちて、見るも無残な容貌にもかかわらず、唯ひとつ残った右眼が類のない魅力を放っている。朽ちても朽ちぬ美しさがここにはある。ちょうど回教徒※の婦人たちの眼がベールの隙間から妖しく美しく輝くように、この弁財天はわずかに残った右の隻眼だけで十分に美しい。男心をとらえてはなさない妖艶な輝きがたったひとつの目から溢れでている。この満身(まんしん)創痍(そうい)の弁財天を艶っぽい仏様とみるのは不埒(ふらち)なことだろうか。」 
石本正「画家のことば」『芸術新潮』1973年1月号
 残った片目だけでかつての美しさを伝える「朽ちても朽ちぬ美しさ」は、石本の「部分を出すことで全体を暗示する」とういう表現にヒントを与えたひとつかもしれません。
 しかしこの像は大幅な修復が行われたため、彼が魅力を感じた朽ちた姿ではなく、造られた当初の姿で甦っています。
※回教徒…イスラム教徒


 

 
【15】
5.影の光

石本の女性像の多くは、胸の中心が明るく描かれているという特徴があります。本来は乳房よりも奥であるこの場所は影で暗く見えるはずですが、なぜあえてこの場所が明るく描かれているのでしょうか。
それは彼の終戦直後のころの記憶に由来します。電車に乗っていたある時、目の前に胸元を広げて子どもに乳をふくませている母親が座っていました。このとき母親の胸の間が、石本の目にはなぜか蒼白く光って見えました。まるで肌の粒子そのものが発光しているかのようだったそうです。彼はこの不思議な光を「影の光」と表現し、女体だけが持つ神秘的なものとして作品の中であらわしました。
 

 

【16】

第2章 肌で知覚する(感じる)

 石本の絵をかく原動力は、心を打つ感動との出合いでした。花、女性、風景、音楽、小説…彼が「美しい」と心から感じたものすべてが絵になりました。その感動は視覚だけでなく、聴覚、触覚、嗅覚など人間の持っているすべての感覚で得たもので、石本は「肌で知覚する(感じる)」という言葉でもあらわしていました。
 
 

 

【17】

1.肌で感じる花

 春に咲く牡丹や芥子。これらは石本が特に気に入って描いた花です。春になると手が日に灼けて黒くなってしまうほど、毎日のようにスケッチに出かけていました。
 牡丹も芥子も、いつもスケッチに出かけるお気に入りの場所がありました。スケッチブックを抱えて敷地内をあちこち歩き回り、ハッと心打たれた花を描きとめる。彼の花のスケッチは一カ所にじっと座ってじっくりと描くのではなく、花の細かな描写よりも、枝の流れの美しさや花の付き方のリズム感をつかもうとするような、スピード感のある線で描かれたものが多くあります。
ときにはポカポカ陽気にさそわれて、スケッチの合間に花畑の藁の上でのんびり昼寝をすることもありました。お気に入りの場所の空気を体いっぱいに感じながら花を描いていたようです。

 
 

【18】
「天王の牡丹 門」
2011(平成23)年  本画

石本が牡丹を描くために毎年通っていたのは、京都の京田辺市にある無二荘という牡丹園でした。牡丹園といっても広く一般に公開されている場所とは違います。牡丹を愛した明治時代の初代の園主が私有地に苗を植え、それからどんどん株が増えてゆき、五代目のいまでは何百本もの株となっているという、あくまで個人の牡丹園です。鑑賞用にきれいに剪定はせず自然のままにのびのびと牡丹を育てており、中には2メートルを超える株もあります。石本はこの無二荘の生き生きとした牡丹が好きで、毎年春にスケッチに通っていました。
そのうち園主と親しくなり、母屋の庭で大事に育てている牡丹も見せてくれました。この中心の白い牡丹は、その特別な場所に咲いていた花を描いたものです。

 

 

 

 

【19】

【画家の視点】美しいものを喰える人
「どんなに美しいものでも、喰えないものは世の中の役に立たない」と言う人がいる。本当だろうか。美しいものは本当に食えないのだろうか。「ここは景色がいいけれども不便だから」とか「いくらいい景色でも毎日見ていたら飽きてしまう」とか言う人がいるが、ぼくはそうは思わない。「美しいものは喰える」と思う。
 たとえば朝起きて、そよぐ風を肌に受け、鳥の鳴声に耳を澄ませ、動く雲を目で追って、ああ美しい朝だと感じることができたなら、それはもう美味いものを食べたのと同じ満足感がえられると思う。ただ、こうした季節や気象の変化をたえず敏感に感じとってそこに新鮮な美をみいだすことのできる人と、そうしたことのまったくできない人との二種類があることは確かだ。「美しいものを喰える」人とは、そうした自然の移り変りを敏感に読みとり観察できる人である。
石本正「画家のことば」『藝術新潮』1973年5月号

 

 

 

【20】
2.肌で感じる風景

心を感動させるものとの出合いを求め、石本はよく旅をしました。とくに中世ヨーロッパ美術が好きだった彼は、イタリアやフランスなどヨーロッパ各地を頻繁に訪れました。その旅の目的は、はじめは中世の絵画や彫刻などを見て廻ることでした。しかし何百年も前の絵画や石造りの建物がそのまま残り、いまも当時の様子を色濃く残した街の多さに、ヨーロッパの人々の自国の文化を大切にする姿勢にも感動を覚えるようになりました。そして、文化そのものから感じる美しさをたくさんスケッチしました。
 「こうした町を巡り歩いていると、人間が生きるということの重さをしみじみ感じてしまう。自然の風景は確かに美しい。しかしそれ以上に美しいのは、長い時間をかけて作られたこうした町の景観だ。私には、ロマネスク美術も、イタリアの景観も、つきぬ悦びに満ちて見える。」
石本正「ロマネスク巡礼」『藝術新潮』1976年12月号

 
 

【21】
「ポンテ・ベッキョ」
1964(昭和39)年頃  油彩

44歳ではじめてヨーロッパを訪れた時、イタリアのフィレンツェで見たポンテ・ベッキョ。アルノ川に架かるこの橋の上には様々な店が並んでいて、宿泊したホテルから眺める景色もとても美しかったそうです。その感動を描きとめるため、現地で油絵具と厚紙を買い求めて描いたのがこの作品です。茜色の雲が空に浮かび、街並みの壁に斜めに日の光が当たる様子が描かれています。

 

 

 

 

【22】
「ペンテダッティロ」
1990(平成2)年  素描

【画家のことば】
「この街も住民の集団移転により、現在は廃墟となっている。近くにホテルなどあろうはずもなく、車で通過しただけなのだが、かなり長いこととどまっていた。家々の瓦も随分金をかけたと思われるもので、今は釉薬をかけた朱色の瓦も屋根の木組も共にすっかり崩れてしまって無残な姿だが、昔は随分立派な街であったのだろう。屋根の反り返った勾配の様子が不思議なことに昔の中国のようで、面白かった。」
石本正『画文集 我がイタリア』新潮社、1991年 より

 

 

 

 

【23】
「ファレリア」
1990(平成2)年  素描

【画家のことば】
「このあたり一帯を車で走ると、カルカータ、カプラローラ、カルボニャーノ等々の山上都市が次々に目の前に現れて、それはすばらしい眺めを展開する。ファレリアもそんな山上都市のひとつである。
ローマから一、二時間という比較的楽に行ける場所で、明るい草地に、川が光って美しい。街にはバロックの大宮殿があるが現在、大がかりな修理中。考えてみると、イタリアはどこでもかしこでも修理を行っている。古い物をそのままに直している。その歴史の長さをつくづくと感じている。」
石本正『画文集 我がイタリア』新潮社、1991年 より

 

 

 

 

【24】
「サン・セヴィリーナ」
1989(平成元)年  素描

【画家のことば】
「突如、目の前に立ちはだかるように現れた巨大な崖。その上に広がる山上都市。この風景に出会ったのはこの絵を描く前日の夕刻である。その巨大な崖があまりに美しかったので、どうにかして物にしたいと思い、一晩中表現方法について思いを巡らせた。
最初に見た時は圧倒されて一瞬とまどったが、しかしその対象に向かい合い、対象と語り合うと不思議と問題は解決する。絵の対象自体がその表現方法を教えてくれるのである。一日居て、五枚。本当に速く描けた。どんどん描き上がるという感じだった。
対象との会話とはつまり自然から考える、ということだと思う。頭からでっちあげて、自然から離れてしまった絵は絶対にいけない。対象から受ける自分自身の感動-それこそが重要で、その感動が描き方を教えてくれるのだ。自分がわからなくても、相手が教えてくれる。」
石本正『画文集 我がイタリア』新潮社、1991年 より

 

 

 

 

【25】

3.肌で感じる音楽

 石本は、音楽を聴いていると心の中にたくさんのイメージが湧きおこり、それが絵になることがよくありました。そのため、彼にとって音楽は作画するうえで欠かせないもので、アトリエではいつも大音量でクラシック音楽が流れていました。音楽を聴いていると、旅で行ったヨーロッパの古い教会の中にいる気分になったり、その時の匂いまでよみがえってくることもありました。音楽を聴きながら、そうした思い出や夢で心をいっぱいにして毎日絵を描いていました。

 

 

 

【26】
「揺れる」
1996(平成8)年  本画

美しい女性が静かに揺れるハンモックに横たわり、音楽を聴きながら考え事をしている様子を表現しようとした作品です。ハンモックの結び目はト音記号を意識して描かれているそうで、まるで金色に輝く音楽の旋律に女性がつつまれているかのようです。
いつもアトリエに流れる大音量のクラシック音楽に身をゆだねるようにして絵を描いていた、石本ならではの発想の作品といえるかもしれません。

 

 

 

 

【27】
「菊花」
2012(平成24)年   本画

この作品は、描きながら聴いていた交響曲のイメージが絵になったものです。構図は画面の真中に菊が一直線になるように意識して描いたそうです。縦にまっすぐに走る主旋律に、さまざまな楽器の音がからみあう交響曲を、画面の中で表現しているのでしょうか。

 

 

 

 
【28】

第3章 絵肌(マチエール)へのこだわり

さまざまな画材を使い分けることによって、絵の表面がザラザラしたり凹凸したりと、独特な質感の違いが現れます。これを絵肌(マチエール)といって、多くの画家が自身の求める表現に近づくために工夫をこらします。
ぜひ描いた画家になったつもりで、絵を近くで見てみてください。画家の視点でしか気づかない工夫やこだわりが、絵肌から伝わってくるはずです。

 
 

【29】
1.デッサンの絵肌
石本は、デッサンやスケッチ用の紙に表面のつるつるとしたケント紙を多く使っていました。この紙に、描く題材に合わせて木炭、鉛筆、水彩、コンテ、オイルパステルなどを使い分け、質感の違いを表現していました。
 うねる樹の枝はその生命力を表現するために黒やこげ茶のコンテで力強くフォルムを描き、女性の柔らかい肌の質感は鉛筆をこすって滑らかに、古代インドの女神像は古びた石の質感を表すために粘り気のあるオイルパステルを使用するなど、同じ紙を使っているにもかかわらず、画材の使い分けによってまるで違う絵肌を多様に生み出しています。

 

 

【30】

「糺(ただす)の森」
1960年代後半~1970年代前半  素描

糺(ただす)の森は、京都の賀茂御祖(下賀茂)神社の境内にある原生林です。石本はここで何十枚もの樹の写生をしています。樹の質感をリアルに描くのではなく、黒やこげ茶のコンテを大胆に力強く使って、枝の流れの面白さや樹の生き生きとした生命力をつかもうとしているようです。

 

 

 

 

【31】
「裸婦」
1983(昭和58)年  素描

滑らかな質感のケント紙の特徴を特に高度に生かした描き方をしていると言えるのが、裸婦デッサンです。鉛筆でつけた面をこすって柔らかいトーンを出し、細く繊細な線に強弱をつけながら輪郭が描かれています。また、明るい部分は消しゴムを使って消していますが、その使い方はまるで消しゴムを白い絵具として使っているかのようです。鉛筆や消しゴム、ときには絵具も駆使して、女性の柔らかく透き通るような肌の質感をあらわしています。はっきりした色はほとんど使われていないのに、肌の色合いまで見えてくるようです。
 

 

 

 

【32】
「カジュラホ」
1984(昭和59)年  素描

この魅惑的な彫刻はヒンドゥー教の女神像で、インドのカジュラホという町にある古い寺院の石壁に彫られたものです。顔も欠け、手足も完全ではないものもありますが、石本はこの女神たちの身体の曲線を美しいと感じて描きました。しかしこれらのデッサンでは、その美しいと感じた曲線を線だけでとらえてはいません。何百年も時を経た味わい深い石の質感も含めた全体の美しさを、さらりとしたコンテや鉛筆だけでなく、淡い色でも強い質感を出すことのできる、粘り気のあるオイルパステルなども使って表現しています。
 

 

 

 
【33】
2.かさねる絵肌
日本画には、泥や石などを原材料とする砂状の絵具が多く使われています。ザラザラとしているので、チューブに入った水彩絵具や油絵具のように違う色同士を混ぜることにはあまり向いていません。そのため、絵具を重ねることによって複雑な色を生み出します。
重ねて色を作る場合、下に塗る色はとても重要です。石本は、透けるような美しい肌を表現するために、焦げ茶色のコンテで淡く濃淡をつけ、その上からこだわりの肌色の絵具を重ねて描いていました。
また、うすものから透けて見える肌、着物の深い色あいなども、そのほとんどがこの方法で作られた表現です。

【34】
「ひととき」
1982(昭和57)年  本画

この女性はとても熱心なモデルさんで、石本にたくさんの感動を与えてくれた人です。
女性の肌を全て描いた上から、胡粉(白い絵具)でやわらかく透けるようなうすものの形を描き、やさしい色の青い絵具が重ねて塗ってあります。絵具を繊細に重ねて表現することで、女性たちにうすものをそっと着せてあげているかのようですね。

 

 

 

 

【35】
「朱」
1985(昭和60)年  本画

このモデルさんは、とても豊満で美しく可憐な女性だったそうです。彼女を見た瞬間、ギリシア彫刻を思い出し、そのイメージを重ねて描いています。鮮やかな朱の着物の裏地が、その白く美しい身体のフォルムをより強調して見せています。
彼の裸婦像のなかでも、とくに透明感のある美しい肌の表現が際立った作品のひとつで、繊細で無駄のない濃淡のつけ方や色遣いのなかに、彼の女性美の表現に対する真摯な姿勢が感じられます。

 

 

 

 

【36】
2.けずる絵肌
石本は、若い頃から日本画の絵具を使う事にこだわりながらも、筆を使って塗るという当たり前の技法にとらわれず、新たな技法を考え積極的に取り入れたりしていました。
なかでも30代の頃に編み出した技法は、戦後間もない時代の日本画ではとても斬新で珍しいものでした。絵具が乾かないうちに、油絵用のペインティングナイフを表面に当て、滑らすようにして削ったのです。この技法はとても評判となり、まねる人も次々に現れました。
彼はこの技法で、日本画の絵具による新たな絵肌をつくりあげ、独特な雰囲気を持った鳥や風景などを描きました。自分でも気に入っていたのか、晩年の作品でもこの技法がみられます。

 

 

【37】
「アラビア鷹」
1962(昭和37)年  本画

この鳥はハゲワシの一種で、本当は羽の色は白で、顔も黄色です。でも石本は、絵の中では黒い羽根と赤い顔で表現しました。一度は行ってみたいと夢見ていたインドやアラビア。その砂漠にいる鳥をイメージしているそうです。
この作品では、主に羽根の表現に絵具をけずる技法が使われています。これによって、猛禽類独特の太陽の光にギラッと光るような力強い羽根の質感が表現されています。

 

 

 

 

【38】
「樹根と鳥」
1957(昭和32)年  本画

石本は30代のころに少し入院したことがあって、その時のお見舞いに水耕栽培のヒヤシンスをもらいました。その水の中に見えるヒヤシンスの根のイメージから絵になったという作品です。
画面全体の上から下に流れる線が水の中の根から生れた表現で、ペインティングナイフで何度も繰り返し大きく削ることによって、この面白い絵肌をつくっています。

 

 

 

 

【39】
4.ちらす絵肌
 日本画の絵具を混ぜたりするときには、絵皿一つにつき絵具一色ずつ準備します。このため、時には絵具が余ってしまうことがあります。そんな時彼は「もったいない」と言って、次の絵を描くための新しいパネルに、残った絵の具を塗ったりもしていました。ただ塗るだけではなく、上からポタポタと散らして、カラフルな星空のような面白い絵肌をつくることもありました。そしてその上から、また新たな作品を描きました。

 

 

【40】
「薊」
2004(平成16)年  本画

あるとき、石正美術館の近くに住む人が、石本のためにスコットランドアザミという大きな薊を持ってきてくれました。彼はうれしくて何枚もデッサンを描きました。花が枯れたあとも、ドライフラワーにしてアトリエの壁にかけていたほど気に入っていました。
花をくださった人が亡くなったことを聞いたとき、アトリエの薊を見た彼の心に、花をくれた人が薊になり、風に乗って天に登っていこうとする姿が浮かびました。そのイメージを描いた作品です。
葉の部分に紺色や茶、黄土などいろんな色の絵具が水玉模様のようにちらしてあります。ちらすことによって偶然にできる複雑な絵肌と色合いが、画面に深みを与えています。

 

 

 

 

【41】
「牡丹(未完)」
2015(平成27)年  本画

2015(平成27)年に95歳で石本が亡くなった時、アトリエには描きかけの作品が30点近く残されていました。この作品は、そのうちの一点です。
画面の大部分に赤茶色の絵具でいきおいよく絵具がちらされ、そのマチエールの上から牡丹が描かれるという制作工程がよく分かります。ほとばしるような牡丹の生命力が画面から伝わってきて、未完成とは思えないような力強さを感じさせる作品です。

 

 

 

 

【42】
5.石州和紙の絵肌
石本は、石正美術館が出来てからの81歳以降、この町で漉かれる石州和紙をつかって絵を描いていました。使っていたのは「石正紙」という名前の石州和紙で、町内の紙漉工房・久保田和紙工房の久保田さんが、石本の要望を受けて彼のために漉いたものでした。
特に気に入っていたのは、漉き上がった紙を板に張り付けて天日乾燥させることによって表面に残る木目模様でした。表面が平滑な美しい和紙を好む画家が多いですが、彼は、板の凹凸がくっきりと残る石州和紙を見て、まるで紙の方から描き方を教えてくれるようだと言って、喜んで使っていました。この木目模様に絵具が乗り、独特の絵肌がうまれました。

 

 
【43】
「ジェイドバイン」
2012(平成24)年  本画

この花はヒスイカズラとも呼ばれる熱帯地方に咲く花で、晩年の頃にスケッチに行った植物園で見て作品にしました。
ヒスイ色の花のまわりの黒くぼかした部分を近くでよく見てみてください。赤い下地の上に、黒の縦じまが浮き出るようにくっきりと見えています。この縦じまが、石州和紙を木の板に貼り付けて乾かすときにできる木目模様です。木目の凹凸の凸の部分に黒い絵の具が乗って、黒い縦じまとして出ているのです。
この石州和紙の特徴をうまく利用した縦の線の絵肌によって、垂れ下がる花の流れにまとまりがうまれています。

 

 

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。