企画展「自然をあじわう」作品解説

 

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【1】

【壱のあじわい】 風景を感じる・あらわす

「自然こそが、すべての感動の始まりである。」(石本正「我がイタリア」1991年/新潮社より)
身のまわりの自然を深く見て感じ、そこから生まれる素直な感動を大切にして絵を描いていた石本正。
目に見えたものをそのまま写真のように描くのではなく、心に感じたことを絵にあらわそうとしていた彼の作品は、風景、人物、花、どのモチーフを描いたものもすべて心象風景といえるところがあります。
ここでは、石本の作品の中にみえる自然描写のうち《風景》に着目し、そのイメージの原点や込められた思いをひも解きます。
 

 

 

【2】
冬をえがく

1950年代後半、30代後半頃に石本は大山(鳥取県)、妙高(新潟県)、尾瀬(群馬)、青山高原(三重県)など冬の風景を求めて何度もスケッチに行くようになりました。きっかけは、ポール・セザンヌ(1839-1906)の作品「サント=ヴィクトワール山」に感動したことでした。

「山の稜線にそって、被さるように左右から松の枝がうねりを上げ、右の枝葉はそのまま空に吹き上げて走り、左の枝葉は弧を描きながら風のようにゆれ動き、松の動きに対し微動もしない山の容姿が深く印象に残り、絵画としての原点を感じ、そのことが自己のどうにもならないもどかしさとなって、今も尾をひいている。これが私とセザンヌとの出会いである。」石本正『自選画集』1997年 小学館

それから、セザンヌのように見たものを素直に感じたままに描いてみたいと思い、自分だけの風景を求めて旅をしました。そして最も好きな季節となっていった冬。鮮やかな色彩が影をひそめる静かな世界の中で、対象に向き合い心に焼き付いた情景を、アトリエに戻ってクラシック音楽を聴きながら作品にしていきました。大好きな音楽、これまでに見てきた憧れの絵画や小説などのイメージと合わさった風景はとても詩情豊かで、物語の中に誘われるようです。

 

 

 

【3】
「春雪」
1969(昭和44)年 49歳

1964(昭和39)年に、初めて念願のイタリア訪問を果たした石本。この時、シエナ市庁舎(パラッツォ・プブリコ)の壁に描かれた『シエナ将軍グイドリッチョ・ダ・フォリアーノの騎馬像』(シモーネ・マルティーニ作(1284年頃~1344年)を見てから、白と群青の対比のえも言われぬ美しさを、日本画の絵具で描いてみたいと思うようになります。
この作品は、そのイメージと鳥取県の大山の春先の雪景色とを重ねて描いています。大山や妙高ほか雪山のスケッチに通い始めた1950年代後半から、実に約10年の長い年月のあいだ心の中で温め続けて生まれた作品です。
橅の枝先の《金色の弧》は晩年の風景作品までずっとみられる表現で、春の芽吹きを待つ樹の生命力を象徴的にあらわしているようです。

 

 

 

【4】
「日輪」
2011(平成23)年 91歳

足腰が弱っていた晩年の90代は、日課の散歩以外はほとんどアトリエの中で過ごすようになっていました。しかし制作意欲は衰えることなく、これまでに描いてきたたくさんのスケッチを出してきては、昔の思い出にひたるように毎日絵を描いていました。
本作は、具体的などこの風景というわけではなく、昔のスケッチを見て心の中に浮かんだ風景を描いたものです。枝先の金色の弧の表現は、若い頃の風景作品よりもいっそう光る輪のように象徴的に描かれ、ひんやりとした冬の空気の中に息づく生命のぬくもりを感じさせます。

 

 

【5】
《画家のことば》

真赤な紅葉が枝から落ちて、少しずつ朽ちながら、やがて大地を紫がかった古代朱色に染めあげる。派手な景色は消えうせて、渋みの利いた世界が忽然と出現する。すべての色が、くすんだ灰色になる。ぼくの好きな冬がこうして始まる。高山、上高地、津軽、八幡平などへ、葉の落ちつくした橅林を求めて、訪ね歩きたくなるのもこの頃だ。
早朝、斜めにさす陽を浴びながら、しっとりと色づいた落葉を踏む楽しさは、言葉にしがたい。凍みきった透明な空気は、降り仰ぐ橅の梢はもとより、はるか遠くの小枝の一本一本まで、あざやかに浮かびあがらせる。その先端にひとつずつ光る小さな白露…。
こうした折に、雪にぶつかることもある。それはそれで、また好ましい。一面の白のなかに、橅の樹が黒々と伸びてゆく、そのしいんと澄み切った燻銀の世界は、また何物にも代えがたい。
確かに冬は、他の季節には見えないものを見せてくれる。太陽の輝きとか、色彩の派手やかさが衰える冬は、いわば化粧を落とした素顔の世界をぼくらに見せてくれる。

石本正『自選画集』1980年 集英社

 

 

 

 

【6】
風景とイメージの調和1

聖なるもの、美しいものの象徴として、石本が生涯追い求めた女性美。1990年代までの作品は、単色無地の背景または絨毯の装飾模様のなかに女性が様々なポーズで描かれたものがほとんどでした。場所やシチュエーションといった人物以外の要素を排除した表現は、透けるような白い肌や表情など、まさに女性の美しさだけに焦点がしぼられたものといえるかもしれません。
しかし80歳を迎えるころから、背景に風景が描かれた作品が登場しました。その特徴的なところは、いずれも遠くを望む風景であることです。ふるさとの石見やかつて訪れたヨーロッパの大地、身近な京都の風景。それはまるで、これまで人生をかけて追求してきた女性美と、大切な思い出との調和をはかっているかのようです。

 

 

 

 

【7】
同じポーズ、違う背景

はじめに、女性は同じポーズでありながら背景の異なる三点を並べて、その表現の違いを見てみましょう。

 
 

【8】
「浄心」
1988(昭和63)年 68歳

静かな黄金色の背景の中にたたずむ一人の女性。胸元で軽く手を組み屹立する姿は、仏画やキリスト教絵画のイコンのような宗教性を感じさせます。
あらわになった胸元の中心が明るく描かれているのは、「影の光」という石本独自の表現で、終戦直後の頃の記憶に由来します。電車に乗っていた時、胸元を広げて子どもに乳をふくませている母親が前に座っていました。このとき母親のその箇所が、なぜか蒼白く光って見えたといいます。彼はそれを、女体だけがもつ神秘的な光として表現するようになりました。
女性の母性や美しさを聖なるものをしてとらえ、表現した代表作のひとつです。

 

 

【9】
「広沢湖畔」
2001(平成13) 81歳

京都の広沢池の情景が背景に描かれており、遍照寺山の頂上を起点に左右対称に近い構図で描かれているところが神秘的に感じられます。中心に立つ美しい女性は、山の化身のようなイメージなのでしょうか。
この構図には、日本古来のやまと絵や仏画への傾倒がみられます。石本は、やまと絵は自然の四季の移ろいに親しむ日本人独自の感性で描かれたものであり、誇るべき貴重な遺産と考えていました。「太陽が粛々と沈むその西の涯に極楽浄土があるという思いがこの絵を生んだ。」と語った禅林寺(京都府)の《山越阿弥陀図》や、四季の変化をダイナミックにとらえた《日月山水図屏風》など、自然そのものに神性を見出し表現したやまと絵に深い畏敬の念を抱いていた石本。本作は、彼独自の感性で描かれた現代のやまと絵と言えるのではないでしょうか。

 
 
【10】
「ソナタは樹間より」
2011(平成23)年 91歳

石本はずっとクラシック音楽を聴きながら絵を描いていました。この作品は、樹の間から風が吹いて音楽が流れてきそうな感じがしたので、こういうタイトルをつけたと話していました。一面が葉で埋め尽くされた装飾的な背景の表現は、他には見られないこの作品だけの特徴です。
なにものにもとらわれず、心の赴くままに自由に描いていた最晩年の女性像。女性の姿であらわされていますが、この作品は、アトリエの中で音楽に聴き入る画家自身を投影しているのかもしれません。

 

 

【11】
「蟠竜湖回想」
2001(平成13)年 91歳

子どもの頃に遊びにいった思い出のある、ふるさとの蟠竜湖(島根県益田市)。ここを舞台に、心の中に浮かんだ空想の物語が描かれています。
少女が乗っている樹の幹は、蟠竜湖に住む龍をあらわしたものです。今まさに龍が天に昇ろうとしているところを、少女が懸命に「行かないで」と押さえつけている場面です。
背景に蟠竜湖が描かれていますが、実際にこのように見える場所はありません。あくまでふるさとを題材にした、石本の夢の情景です。

 

 

 

 

【12】
風景とイメージの調和2

美しく咲き、はかなく枯れゆく命の哀切をテーマにした花や植物も、女性像と同様に石本が描き続けたものでした。これもやはり単色の無地背景の作品がほとんどでしたが、女性像に風景が描かれるようになってから植物の背景にも風景が登場するようになり、物語性が加わったような新たな表現に変化しました。

 
 

【13】
「鶏頭」
2004(平成16)年 84歳

鶏頭は、好きな花のひとつでした。スケッチをしていたあるとき、目の前に鳩が飛んできました。「鳩はどんな風にこの鶏頭をみているのだろう」と考えた彼は、鳩の目になったつもりでこの鶏頭を描きました。
遠くに見える風景は、かつて訪れた北ヨーロッパの風景のイメージを重ねているそうです。空想と思い出とが錯綜する、遊び心あふれた石本らしい作品です。

 

 

 

 
【14】
「石見菊」
2004(平成16)年 84歳

あるとき、以前描いた菊のスケッチを出して見ていて、鉛筆で「となかい」とメモ書きしていたものを見つけました。リズムカルに並ぶ菊の葉が、一列に並んで走るトナカイの群れに見えたのでそう記したものでした。
そのスケッチをみているうちに、北極の風景を背景に走っていくトナカイのようなイメージで菊を描いてみたいと思うようになります。ところが、描いているうちに北極の風景がふるさと石見の冬の日本海に変わってしまったのでした。心の中に、いつもふるさとの風景が原点としてあったのでしょう。

 

 
【15】
「二河白道」
2007(平成19)年 87歳

二河白道は仏教の教えのひとつで、娑婆(人間の住む世界)の様々な誘惑や災厄を乗り越え真直ぐに浄土へ導く道をさします。一般的には、右に貪欲を表す渦巻く水の河、左に怒りや憎しみを表す燃え盛る火の河、そしてその間に一本の白い道が極楽浄土に続いているという情景で描かれることが多い題材です。
この作品で描かれているのは、妙高の山並みの上にすっくと立つ雪の積もった一本の樹。プラチナ泥を使った樹の幹が白道、左の赤味をおびた空は火の河、そして右の青味がかった空は水の河を暗示しています。

 

 

【16】

【弐のあじわい】自然をまとわせる

1960年代頃から、石本の作品のなかに舞妓や裸婦をモチーフにしたものが多くなっていきました。着物姿を描くにあたり、彼が特にこだわったことのひとつが模様です。モデルになってくれた女性たちを絵の中で美しく飾ってあげたいという気持ちで、すべての着物の模様を自分でデザインして心を込めて描いていました。
また、1980年代後半頃からは背景一面に絨毯が描かれるようになります。模様はインドの布などを参考にしながら、やはり自分でデザインして描きました。やがて着物と絨毯が作品の中に一緒に描かれるようになり、日本や海外の文化を広く吸収しながら作品作りを続けてきた石本らしい、和洋折衷の独特の世界が生まれました。

 
 

 

【17】

《石本正と着物の模様》

デザインのヒントとして深く興味を持っていたのが、江戸時代以前の着物の模様でした。とくに舞妓を描きはじめて間もない頃の作品では、田舎から出てきたばかりであどけなさの残る少女と、きらびやかな舞妓衣装とのアンバランスさを表現するために、絢爛豪華な能装束を参考にすることも多かったようです。
それから次第に季節感やモデルの個性、心情を模様で表現するような作品が増えていきます。その模様には、風景や花鳥を絵画的にあつかった小袖文様を参考にすることもありました。
日本古来の模様には、いろいろな意味を持つものも多くあります。ここでは、古来の模様の意味もあわせながら、石本が絵の中の女性たちのためにデザインした着物の柄に注目してみましょう。

 
 

【18】
「豊千代座像」
2008(平成20)年 88歳

昔、熱心にモデルをしてくれた祇園の舞妓・豊千代。30年以上前のデッサンのなかの彼女を見ていたらまた描いてみたいと思うようになり、思い出を懐かしむように描いた作品。

 

 

 

 

【19】
「夢」
1983(昭和58)年 63歳

この作品から、石本は女性の後ろに絨毯を描くようになりました。「絨毯に横たわる裸婦」は当時の彼にとって何年越しかのテーマで、バックの絨毯の中に風景的なものがなかなか表現できずに苦しんだといいます。眠る女性が見ている夢を、そのまま模様であらわすようなイメージなのでしょうか。重力を感じさせない不思議な浮遊感を感じさせます。
《ざくろの色》という映画に出てくる絨毯を見て、自分の作品で表現してみたいと思ったのがきっかけでした。絨毯の模様は、インドの布からヒントを得て想像して描いています。
※映画《ざくろの色》1971年/アルメニアのセルゲイ・パラジャーノフがつくった映画。非常に華麗かつ幻想的な映像詩で、石本の大好きな映画のひとつ。

 

 

 

 

【20】
「室内」
1987(昭和62)年 67歳

着物の模様と絨毯がひとつの作品の中に一緒に描かれるようになった最初の作品。不思議な浮遊感がある様子は、《夢》(展示中)と共通したところがあります。

 

 

 

 

【21】
「回想」
2008(平成20)年 88歳

出来上がった作品をみて「回想」という感じがしたので、それをタイトルにしたのだそうです。春の花・たんぽぽ柄の着物につつまれて、どのような想いをめぐらせているのでしょう。

 

 

 

 

【22】
「楡」
2014(平成26)年 94歳

うねる枝を地面まで伸ばした大きく背の高い木と、今にも倒れてしまいそうな細く弱々しい木。並んで立つ2本の木が、どこか人間の姿を思わせるような本作は、彼が他界した直後に開催することになった最後の新作展で発表された遺作のひとつ。なんともいえない、もの悲しい情感が心を打つ作品です。

 

 

 

 

【23】

【参のあじわい】無常の花

70歳を迎えるころ、女性美を描きつづけた石本が、はじめて花の作品だけを出品する個展を開催します。以降、花も彼が見つめる重要なテーマとなりました。
切り花を好まなかった彼の花の絵は、地に根を下ろした生きた姿が描かれていることが特徴で、美しいだけでなく、生きているゆえの儚く枯れゆく様子も逃さず表現しています。彼の目には、そういった命の哀切が愛おしく映り、花を通して人の一生も重ねていました。
うつろいゆく無常の美を表現した花の作品は、彼の人生観そのものでもありました。

「夢が次々にふくらんでは消え、ふくらんでは消え、走馬灯のように回転しながら浮かんでいく。あるときは花火のように美しく、輝き、空中に吸い込まれ、消えていくことが出来たら、こ れからの人生はどんなに意義があるかと思う。」
石本正『自選画集』1997年 小学館
 

 

 

 

【24】
「鶏頭」
2004(平成16)年 84歳

石本は各地の花火大会によく足を運びました。ドンドンドンという大きな音とともに打ち上げられ花火が、夜空を真赤に染め上げたあと一瞬で吸い込まれるように消えていく。その花火のはかない様子を重ねて描いたのが鶏頭で、何年も続けてたくさんの作品を描きました。

 

 

 

 

【25】
「枯れゆく鶏頭(未完)」
2015(平成27)年 

95歳で亡くなったあと、アトリエには描きかけの作品が30点近く遺されていました。本作はそのうちの1点で、パネルの側面に直筆で「枯れゆく鶏頭」というタイトルが記されていました。
晩年、植物が枯れる直前、最後に様々な色の変化を見せたのち、誰の目にもとまらずひっそりと終わりを迎える様子の美しさについて話していたことがありました。本作でも、枯れゆく鶏頭の葉や未が様々な色で表現されており、命の最期の美しさを表現しています。

 

 

 

 

【26】
「竹」
2007(平成19)年 87歳

散歩をしていると、近所の塀越しに篠竹が生えているのが目に入りました。その竹は葉が枯れているところもあって元気がなく見えましたが、石本の心には「私を描いて」と語りかけてくれているように感じました。
その時に感じた様子を、あえて日本画の絵具ではなく木炭を使って描くことにしました。この篠竹は、木炭でしか表現することが出来ないと感じたのだそうです。

 

 

 

 

【27】
「星空の月火美人」
2012(平成24)年 92歳

夏の夜に一晩だけ花を咲かせる月下美人。翌朝にはしぼんでしまう儚い花の美しさを、夜空の月や星と共に夢のように描いた作品。
「月下美人」をあえて「月火美人」と漢字を変えているのは、石本自身のこだわりです。

 

 

 

 
【28】
「塀」
2013(平成25)年 93歳

散歩道にあったお気に入りの塀。古びたブロック塀に生えた色とりどりの苔は、見るたびに様子を変えて画家の目を楽しませてくれたそうです。散歩の途中で歩みを止め、苔の美しさに目を輝かせていた石本の姿が思い浮かぶような作品です。

 
 
 
 

【29】
「苔の華」
2014(平成26)年 94歳

樹の幹を覆うように息づく白い苔。白く細い糸のような茎を下方に伸ばし、先端に楕円形の白い花のようなものをつけています。その繊細な美しさに心奪われ、感動を素直にそのまま描いた作品です。

 

 

 

 

【30】

【四のあじわい】十二人の画家の目

石正美術館には、「心からの感動を描いた本物の絵」として、石本正が心の眼で選んで収蔵した作品がたくさんあります。ここでは、その収蔵作品のなかから自然をテーマにした十二人の画家の作品をとりあげ、それぞれが深い思いを込めながら表現した自然の姿をご紹介します

 

 

 

 

【31】
加藤美代三「嵯峨野春秋」
2006(平成18)年

《画家のことば》
四季折々の嵯峨野散策の中で、
ふと、あらためて美しさを感じる・
樹、草花、畑や山などを一日中夢中に写生します。
これからも私は、自然と一体となれる時間を
大切にしたいと思っています。

 

 

 

 

【32】
中原麻貴
「夜空」2004(平成16)年

《画家のことば》
夜空にのびる枝、その無数の枝に散りばめられている葉を見ていると、夏の夜空の花火を思い出しました。

 

 

 

 
【33】
雲丹亀利彦「刻」
2014(平成26)年

《画家のことば》
陽光美しく咲く姿にいつまでもと願う。
過ぎ行く時は儚く言葉にならない一喜一憂を表現しました。
 

 

 

 

【34】
吉川弘「樹」
1995(平成7)年

《画家のことば》
なにげない日常生活を営み、自然、社会との関わりの中で感じる命の神秘、人の喜び、悲しみ、苦しみ・・・・・・・。
人が生きる上で与えられるさまざまな事象、それらが自分自身を見据える時、過去から現在まで時空を越えて心の深遠な淵から精神の高まりを伴なって甦えって来る。
その精神の響を魂の昇華と供に作品に託したい。
 

 

 

 

【35】
伊藤はるみ「萩咲く」
2002(平成14)年

《画家のことば》
萩の花を写生した時、ある株は噴水の、又ある株は、ほとばしる瀧のイメージと重なりました。同時に〝咲きこぼれる〟という言葉が脳裏に浮かびました。
 

 

 

 

【36】
池庄司淳「断片風景-1」
2004(平成16)年

《画家のことば》
時間があれば自宅近辺の樹々や土(地面)を写生していますが、足下の土を眺めていると四季の遷り変りとともに様々な表情を見せてくれます。その表情の奥に隠された大きな存在感、懐の深さに言葉にならない説得力を感じるのは自分の存在の小ささゆえでしょうか。

 

 

 

 

【37】
西久松吉雄「古墳のある風景」
1998(平成10)年

20代から30代にかけて、画家は丹後・丹波地方の風景をテーマに作品にしていた。そのうちに、その風景の中にあるたくさんの小さな山の存在に興味をひかれるようになったといいます。その小さな山は、この地域に多く存在する古墳でした。遠い昔、人々によってつくられた古墳は、やがて神聖性を持った杜となり神社が建てられる。その周りには人々の生活が生じ、風習や伝承ができてくる。杜と共に人々の暮らしが形成されてきたこの風景を、彼は日本の原風景のように感じながら描いています。

 

 

 

 

【38】
岡崎忠雄「径・トスカーナ」
1998(平成10)年

《画家のことば》
1969年に初めてイタリアを訪れた時の感動は、私のその後の創作意識を決定付けるものとなりました。石の文化の圧倒的な力強さ、その荘厳なたたずまいは、木の文化に親しんできた私には衝撃でありました。聖堂や宮殿に描かれた、中世の偉大な画家たちによるフレスコ画の祭壇画の美しさ、そしてそれらを500年以上もの長い年月、大切に後世に伝えたイタリアの人々の高度な美意識に対して畏敬を覚えずには居られません。
この魅力にひかれ度々イタリアを訪れ、中世のままの姿をとどめた街、トスカーナの丘の風景を描きました。
日本の四季に咲く花々も私の主要なテーマですが、イタリアの風土と対比して描くことも楽しいものです。

 

 

 

 

【39】
池田知嘉子「月は風を開き」
2006(平成18)年

アメリカインディアンが持つ言葉の中に、「風を開く」という言葉があります。画家はこの言葉に、インディアン独特の“自分と自然が一体になる”という日本人にはあまりない感覚を感じ、その感覚を絵にしてみたいと思ったそうです。

 

 

 

 

【40】
上野富二郎「野梅」
2005(平成17)年

《画家のことば》
この作品は、冬の野にあったまだ蕾の固い梅の樹の写生が数枚あって、それがきっかけで出来たものである。図柄は梅の枝であるが作品のイメージとしては、梅の樹を含むそのあたり全体の“野の空気”である。冬の野は枯れ草の色が美しく、少し暗く重いが、弱い光の中の“野の風景”は絵の題材として僕にとって魅力的である。

 

 

 

 

【41】
西久松吉雄「樹霊一祖」
2014(平成26)年

《画家のことば》
徳島県にある2本のイチョウの巨樹(乳保神社の乳イチョウ(中央)と天満神社の天神のイチョウ(両脇))を写生したが、すぐに本画にせずしばらく寝かせたままにしていた。ある時、吉野の金峯山寺の蔵王権現のイメージを持つ作品を描きたいと思った瞬間、この写生のことがふと頭に浮かんだと。本作は蔵王権現の三尊像と樹から受けたイメージとが重ねられている。
左側の画面だけ、和紙ではなくキャンバス地に描かれている。あえて素材を変えることで、それぞれの質感の違いを出すことを楽しんでいる。

 

 
 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。