石本正について

画を描くのは楽しい
それは生きる喜びでもある
石本 正
1920(大正9)年、島根県那賀郡岡見村(現浜田市三隅町岡見)生まれ。1940(昭和15)年、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)に入学したが、卒業を前に招集されて中国へ渡った。復員後、第3回日展に「三人の少女」が初入選。以後2年連続で入選。その後、1950年より活動の場を創造美術(後に新制作協会と統合)に移した。以降、独自の美を追求した鳥の連作や舞妓、裸婦の作品などで画壇の注目を集めた。1964年よりイタリアをはじめとするヨーロッパをしばしば訪れ、中世ヨーロッパ美術に取材した作品を数多く発表する。1971年には“在来日本画の常識を破る人体のリアリティーの追求により、日本画における裸婦の表現に一エポックを画した”として第21回芸術選奨文部大臣賞、更に第3回日本芸術大賞を受賞したが、以後全ての賞を辞退。1974年の創画会設立後は同会の中心的存在として活躍を続け、また、京都市立芸術大学や京都造形芸術大学などで長年指導し、多くの後進を育てた。生涯、地位や名誉を求めることなく、真の美を追求し続けた姿勢とすぐれた表現力は、今もなお多くの作家に影響を与えている。
2001年4月7日、ふるさとに石正美術館が開館。同館では名誉館長をつとめた。2009年まで石本自らによる絵画教室が開催され、絵を描く心とよろこびを伝え続けた。
2015年(平成27)年9月26日逝去。享年95歳。

 

年譜

【石本 正 略歴】

1920(大正9)年
7月3日、島根県那賀郡岡見村(現浜田市三隅町岡見)に生まれる。
1940(昭和15)年 20歳
京都市立絵画専門学校日本画科予科入学。同級生に三上誠らがいた。
1942(昭和19)年 24歳
京都市立絵画専門学校日本画科本科を繰上げ卒業。学徒動員により気象第1連隊に配属となり中国へ渡る。
1945(昭和20)年 25歳
8月15日、気象観測の受信機で終戦の玉音放送を聞く。
翌年復員。京都へ戻り本格的に創作活動に入る。
1947(昭和22)年 27歳
文部省「第3回日本美術展覧会」に《三人の少女》が初入選。この時福田平八郎氏が激賞する。
1948(昭和23)年 28歳
「第4回京都市美術展」に《風景》を出品し、京展賞第一席を受賞。京都市美術館買上げとなる。
文部省「第4回日本美術展覧会」に《馬》を出品。
1949(昭和24)年 29歳
京都市立美術専門学校(※1)助手となる。
「第5回日本美術展覧会」に《少女(野辺に)》を出品。
1950(昭和25)年 30歳
京都市立美術大学(※2)助手となる。
当時京都市立美術大学助教授だった秋野不矩氏の勧めにより、「第3回創造美術展」に《五条坂》《踊子》を出品し初入選する。
1951(昭和26)年 31歳
創造美術と新制作派協会が合同し、新制作協会として発足。
「第15回新制作展」に《影》《旅へのいざない》を出品し、新作家賞を受賞。新制作協会の会友に推挙される。
1952(昭和27)年 32歳
アメリカ大使館主催の「サロン・ド・プランタン展」に《K街》を出品し、第一席賞を受賞。
1953(昭和28)年 33歳
「第17回新制作協会展」に《高原》《女》を出品し、新作家賞を受賞。
1954(昭和29)年 34歳
「第18回新制作協会展」に《母子》《髪》を出品し、新作家賞を受賞。
1955(昭和30)年 35歳
「第19回新制作協会展」に《女》《母娘》を出品し、新作家賞を受賞。
1956(昭和31)年 36歳
「第20回新制作協会展」に《双鶴》《野鳥》を出品。新制作協会の会員に推挙される。
1959(昭和34)年 39歳
石本正・加山又造・横山操を会員とする轟会(村越画廊)が発足。大作を発表する研究会的な展覧会として話題となり、特に《横臥舞妓》が注目を浴びる。同会は毎年開催され、石本は第15回展まで出品した。
1960(昭和35)年 40歳
東京国立近代美術館主催の「日本画の新世代展」の出品者に選ばれ、《桃花鳥》を出品する。(同年開催の村越画廊・弥生画廊主催の新作個展に出品後、翌年文部省買い上げとなる(東京国立近代美術館蔵)。
京都市立芸術大学講師となる。
1964(昭和39)年 44歳
はじめてイタリアに取材旅行に行き、憧れつづけた数々のロマネスク期のフレスコ画の素晴らしさに衝撃を受ける。
1965(昭和40)年 45歳
京都市立芸術大学助教授となる。
1967(昭和42)年 47歳
「現代日本画鬼才三人(石本正・加山又造・横山操)展」(毎日新聞社主催、そごう神戸展)が開催され、《飛騨の酒倉》《早春賦》などを出品。
1969(昭和44)年 49歳
学生や卒業生とともに62日間のヨーロッパ美術研修旅行に行く。外国語のガイドブックや画集など多くの資料に目を通し、一人で綿密に旅行計画を練り上げた。以降、この旅行は1989(平成元)年まで計11回に渡り行われた。
1970(昭和45)年 50歳
京都市立芸術大学教授となる。
1971(昭和46)年 51歳
3月19日、前年の個展で発表された《横臥舞妓》に対し、第21回芸術選奨文部大臣賞(美術部門)を贈られる。
3月24日、内的世界を画面に確立した舞妓裸婦や風景作品などが評価され、第3回日本芸術大賞(新潮文芸振興会)を贈られる。特に審査員の一人であった川端康成がこの受賞を推したとされる。
以後、全ての賞を辞退。
1974(昭和49)年 54歳
新制作協会日本画部会員37名全員が退会し、新たに「創画会」を結成。行動を共にする。
1986(昭和61)年 66歳
京都市立芸術大学を退職。同大学名誉教授となる。
京都芸術短期大学客員教授となる。
1991(平成3)年 71歳
京都造形芸術大学開学。同校教授となる。
1996(平成8)年 76歳
「石本正展-聖なる視線のかなたに-」(朝日新聞社主催)が東京・京都・大阪・下関・松江で開催される。
浜田市世界子ども美術館名誉館長となる。
1997年(平成9) 77歳
島根県那賀郡三隅町に作品寄贈を申し出、三隅町が絵画の寄贈受諾と美術館建設の意向を表明。
2001(平成13)年 81歳
京都造形芸術大学客員特任教授となる。
三隅町立石正美術館(2005(平成17)年より浜田市立石正美術館)が開館し、同館名誉館長となる。
「石正美術館開館記念 石本正展」(朝日新聞社主催)が東京、福岡、京都、三隅で開催される。
2003年(平成15) 83歳
石本がこれまでの画家生活で、はっきりと感動を覚えた作品のみを集めた「日本画の未来(あした)」展(浜田市世界こども美術館)を開催。「文化は流行ではなく、心や気持ちが一番大事だということを浜田から全国に発信して欲しい」という画家の願いを受け、浜田市が作品を買上げ実現した。
2004(平成16)年 84歳
「石本正 花の夢」展(秋野不矩美術館、浜田市立石正美術館)
2005(平成17)年 85歳
「石本正展」(箱根・芦ノ湖成川美術館)開催
2006(平成18)年 86歳
「思い遥かに 石本正展」が東京・京都・名古屋・横浜の高島屋ならびに石正美術館で開催される。
2007(平成19)年 87歳
初の自選展「石本正自選展 感動こそ我が命」(浜田市立関所美術館)開催。
2008(平成20)年 88歳
「石本正米寿記念 心で描いた日本画展」開催。(一畑百貨店(松江)、浜松市美術館、京都造形芸術大学、石正美術館)
2009(平成21)年 89歳
石正美術館に、塔天井画完成。(石本の発案による一般市民参加型の事業)
京都中央信用金庫創立70周年・石本正画業70周年記念「石本正展」(中信美術館)開催。以降、2015年まで毎年新作展を中信美術館で開催。
2010(平成22)年 90歳
浜田市立石正美術館に新館オープン。
「石本正卒壽記念 今伝えたい思い」展 開催。
2013(平成25)年 93歳
平成25年度川端康成生誕月記念企画「日本画家 石本正展 -川端康成が惹かれた美-」開催(茨木市立川端康成文学館)
2015(平成27)年 95歳
9月26日、不整脈による心停止により逝去。
2016(平成28)年
没後一年回顧展「石本正 魂の軌跡」(浜田市立石正美術館)開催。

(※1)1945年(昭和20)、京都市立美術専門学校に改称
(※2)1950年(昭和25)、京都市立美術大学創立。
(※3)1969年(昭和44)、京都市立芸術大学創立。
・年齢の表記は満年齢を採用した。