故石本正先生を偲ぶ会

 昨年平成27年9月26日に95歳でご逝去された日本画家石本正先生を偲び、平成28年1月16日(土)、浜田市主催による『故石本正先生を偲ぶ会』が開催されました。
 美術館に隣接する三隅中央会館(浜田市三隅町古市場)を会場に、ご遺族、ご友人をはじめ、市民や石正美術館の絵画教室の受講生、親交のあった関係者約350人が参列され石本正先生を悼みました。

 浜田市の久保田章市市長は「先生が愛してこられた美しいものへの感動する心や想いを大事にし、この浜田市発展のために市民の皆さんと共に全力で取り組んでまいる所存であります。」とお別れのことばをむすびました。
また、石正美術館平坂常弘館長は「約束」と題した別れの言葉で「先生の傍らでこれまでお手伝いをさせていただいたことを、各々の誇りとして、また先生と交わした約束を果たすための大きな支えとして、今日から、みんなで手を取りあい、しっかり前を向いて歩きます。」と語りました。

 白菊で彩られた祭壇には、石正美術館の絵画教室で微笑み語りかける遺影が置かれました。また、故郷への思いを込め描かれた《祈り》三部作が飾られました。

 業績披露ではスクリーンに、生前の石本正絵画教室や、塔天井画制作の様子などが紹介されました。絵画教室の受講生を代表して松江市の川西智恵子さんや子ども絵画教室の受講生3名が感謝とお別れの言葉を述べられました。
参列した人たちが献花し、最後の別れを惜しみました。

久保田章市 浜田市長

お別れのことば

 本日、ご関係のある多くの皆さまのご参列を賜り、浜田市立石正美術館並びに浜田市世界こども美術館創作活動館の名誉館長であり、浜田市が誇る日本画家の故石本正先生を偲ぶ会を執り行うに当たり、謹んで追悼のことばを申し上げます。
 石本先生は、大正9年7月3日、現在の浜田市三隅町でお生まれになり、昭和19年京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)日本画科本科をご卒業後、絵画制作に打ち込まれ、昭和22年に『文部省第3回日本美術展覧会』に「三人の少女」を出品し、初入選をされました。昭和24年に京都市立美術専門学校の助手となられてからも意欲的に様々な展覧会に出品され、数多くの賞を受けてこられました。
また、昭和34年には加山又造 氏・横山操 氏とともに「轟会」を立ち上げられ、大作を発表する研究会的な展覧会として注目を浴びられ、特に「横臥舞妓」が話題となるなど、大いに評価を受けられました。この作品は先生から寄贈いただき、石正美術館の収蔵となっております。
また、昭和45年に出身校でもある京都市立芸術大学教授となられ、その翌年には、新潮社第3回日本芸術大賞を受賞、また、同年第21回芸術選奨文部大臣賞を受賞され、その後は、全ての賞を辞退されております。そして、昭和49年には新たに「創画会」を結成され、中心的存在として活躍されました。
 先生のご功績は、枚挙にいとまがありませんが、やはり何といっても先生の作品の数々が一番の功績であると思います。
 多くの作品が石正美術館に寄贈・収蔵され、これらは、浜田市民のみならず多くの皆様の心に語りかけております。先生は、全ての賞を辞退されてから、生涯、地位や名誉を求めることなく己の表現を追及し続け、その姿勢とすぐれた表現力は多くの作家に影響を与えてきました。近年では、アトリエで大好きな音楽を聴きながら作品を制作されていたとのことです。先生の心の中は、美しいものに魅了される初々しい感性と絵を描く情熱や喜びで溢れていたのだろうと思います。そのような若々しい心で描かれた素晴らしい多くの作品を私たちに遺してくださいました。
 また、教育者や絵画制作における伝道者としての功績もあります。
長きに亘り京都市立芸術大学や京都造形芸術大学などで教鞭をとられ、多くの後進画家を育ててこられました。石正美術館では、平成13年の開館当初から平成21年にわたり、先生自らによる絵画教室が開催され、多くの参加者とともにデッサンから作画までを楽しまれました。ご参列いただいた皆様の中にも、先生と一緒に作品を制作した方々もいらっしゃることと思います。
 次に石正美術館の開館における功績であります。
 先生がご自分の作品を「地元ふるさとに寄贈したい。」との思いがなければ、成しえなかったことだと思います。
平成13年に開館した石正美術館は、先生のお好きな日本の古い寺院建築やヨーロッパの中世教会のような要素を取り入れた美しい美術館であり、美術館に入れば、私たちは先生の絵画への熱い思いや美しいものに対する豊かな情感を作品から受け取り感動することができます。このことは地域の芸術文化振興、特に絵画芸術に対する意識の醸成と文化振興の活性化に大きく寄与されました。
このように先生が、歩んでこられたご功績のごく一部を紹介させていただきましたが、先生が地元への思いを大事にされた気持ちが、現在の浜田市の飛躍の一旦として実を結んでおります。
私たちはこれらの先生のご功績を心に刻み、先生が愛してこられた美しいものへの感動する心や想いを大事にし、この浜田市発展のために市民の皆さんと共に全力で取り組んでまいる所存であります。ここに謹んで先生のご生前の偉業を称え、心からご冥福をお祈り申し上げまして、お別れのことばといたします。

平成28年1月16日
浜田市長 久保田 章市

市民代表 西田清久 浜田市議会議長

告別の辞

 本日ここに、浜田市が誇る著名な日本画家である故石本正先生を偲ぶ会が執り行われるにあたり、浜田市民を代表いたしまして、ご霊前に哀悼の言葉を申し上げます。
 生者必滅は世の習いとは申しますが、この度、先生の訃報に接し、私ども市民一同、深い悲しみの気持ちでいっぱいです。
 先生は、ここ浜田市三隅町のお生まれです。故郷に絵画をすべて寄贈したいという想いから、隣りの石正美術館が完成いたしました。美術館の展示替えや周辺の環境整備のサポートを多くの市民ボランティア、石正アフロディアの皆さんがおこなってきました。また、市民ギャラリーでは、発表の場として市内外の多くの創作者、アーティストが発掘されてきました。そしてまた、多くの子どもたちの感性の育成にも大きな役割が果たされてきました。先生は故郷を大切にされ、私たちの絵画、芸術に対する意識の醸成と文化振興の活性化に言葉にできないくらい大きく寄与していただきました。石正美術館がある限り、先生の故郷に対する熱い思い、絵を描くことの情熱、美しいものに対する豊かな情感を受け続けることができ、非常に感謝の思いでいっぱいです。
 先生には、さらなるご活躍を期待しておりましたが、今はただただ、悲しみにくれるばかりであります。 
先生のご意思を私たち市民の意思として、この地域のさらなる発展のために豊かな心を育むことをお誓いしたいと思います。
ここに、ご生前のご功績をたたえ、心から石本正先生のご冥福をお祈りいたしまして、お別れの言葉とさせていただきます。
どうぞ安らかにお眠りください。

平成28年1月16日
浜田市議会議長 西田 清久

石本正絵画教室受講生代表 川西智恵子さん

今日は石本正先生を偲ぶ会に出席をさせて頂き、有りがとうございます。
私は、松江から石正美術館の絵を描く会の仲間に入れて頂いています。
謹んで石本正先生の御霊前に申し上げます。
数年前になりますが、新緑の頃、スケッチ会は大麻山神社に出かけました。昔を偲ぶ庭園の跡、大きな藤棚は新緑がまばゆいばかりの美しさでした。そこで気がつくと、先生は藤棚の下でスケッチを始めていらっしゃいました。
私はびっくりして、先生に聞きました。「なんで花も無いのに、何をお描きですか?」と聞きますと、先生は私に不思議な顔をされて答えて下さいました。「あのね、この藤の葉や蔓(つる)たちが、描いてくれ描いてくれとぼくにささやいているのが聞こえるのだよ。それで、ぼくは描いているのだよ。」と言って、せっせと葉やつるのスケッチを進めておられました。
先生の藤棚の絵が美術館の塔の天井画となりました。私たち生徒も天井画の制作に参加させていただき、良い想い出となりました。
先生は絵は心で描くもの、頑張らずに描きましょうとおっしゃった言葉をしかと胸にきざみ、絵を描き続けたいと思っています。
石本正先生 たくさんの想い出をありがとうございました。
御冥福を御祈りいたします。合掌。

川西智恵子

石正美術館子ども絵画教室 受講生 渡辺稜さん 西藤海星さん 福原廉さん

 石本先生とは、港で一緒に魚の絵を描きました。石本先生はパステルを使って、とってもきれいな色で色を塗っていました。小学生の僕は、すごくきれいな色を使って上手に描かれているのを見てうらやましいと思いました。また、学校の図工の時間に石本先生の絵を観るということで、美術館へ行って絵を観るような活動もありました。その時、雪山を描いた絵や外国の街並みを描いた絵がすごく印象に残っています。僕は中学生の頃美術部でしたけど、そういう絵を観て感動を受けて、風景画を描くのが好きになりました。石本先生の作品からいろいろな感動をもらって成長することができました。ご冥福をお祈りします。

渡邉 稜

 私は小学生の時石本先生に魚の絵の描き方を教えていただきました。教えていただいた描き方の中でも最も印象に残っているのは、「魚の絵を描く時にはまず目から描くことだよ」ということでした。その後、様々な魚の絵を描きましたが、先生に教えてもらった通り、だいたいまず目から描いています。私にとって先生はいつまでも憧れの存在であり、目標でもあります。様々なことを教えていただきありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

西藤海星

 自分も石本先生と一緒に港で魚の絵を描いた時に、先生のとなりで描かせてもらって、やっぱり絵の上手い人だなと思いました。自分が絵を描いていると、石本先生が「がんばらくていいんだよ」と声をかけていただき、とてもうれしかったです。そして、それからも絵を描く時にはがんばらずによく観察して絵を描くことを意識して描きました。自分は先生とのこの交流を通して絵を描くことが好きになったし、魚のことが好きになりました。今はなかなか絵を描く時間がありませんが、石本先生との交流したことを胸に刻み、これから生活していきたいと思います。ご冥福をお祈りいたします。

福原 廉

平坂常弘 浜田市立石正美術館館長(当時)

「約束」

心ある風の中に身を置き
心癒(いや)され、そして夢を見た
生涯忘れえぬ十五年の年月
予期せぬ永訣(えいけつ)の知らせ
涙の中で、鮮明に思い出す
先生とのアトリエでの約束
心持つ仲間の
熱き想いと、深き心を
永久(とわ)に、この地に残さん
そして、この地から、風起こし
風知らぬ人の、心動かさん

今日の、この情景(じょうけい)を幾度(いくど)夢で見たことでしょう。
いずれは来る日と、覚悟をしてはいましたが、一番迎えたくなかったその日を、今日迎えてしまいました。

もう二度と見ることも聞くこともできない先生の優しい笑顔や穏や(おだや)かな語り、そして絵に向き合う心や、故郷への思い。

先生の傍ら(かたわら)でこれまでお手伝いをさせていただいたことを、各々(おのおの)の誇りとして、また先生と交(か)わした約束を果たすための大きな支えとして、今日から、みんなで手を取りあい、しっかり前を向いて歩きます。

子供時代の大切な友であった野山で生きる小さな虫や魚、蛇や鳥、生涯先生を魅了してやまなかった女性や花に囲まれ、どうかこれからも、心ゆくまで絵を描き楽しんで下さい。

先生と出会えた事に深く感謝するとともに、心から御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。

平成28年1月16日
浜田市立石正美術館 館長 平坂常弘