石本 正の作品

「裸婦」
1962(昭和37)年
石本正を一躍画壇の注目作家に押し上げた転機のひとつに、村越画廊の村越伸氏(1922-2005)の尽力によって発足した展覧会『轟会』(1959年発足)が挙げられる。メンバーは、当時新進作家として注目され始めていた石本正・加山又造(1927-2004)・横山操(1920-1973)の3作家だった。
その第3回展に出品された本作。この頃の石本は、新制作協会の発表作は鳥、その他画廊での個展やグループ展などでは、舞妓裸婦をはじめ鳥や瓶花など幅広いモチーフを手掛けていた。本作も含め当時の作品に共通するのは、暗い色彩に乾いた荒々しい筆致。後の、艶かしく美しい肌を描いた石本正の裸婦とは対象的な表現だ。実験的に様々な技法を試しながら、対象の内に潜むものを描き出そうとしているようでもある。