石本 正の作品

 

「舞妓」
【右隻】1966(昭和41)年
【左隻】1968(昭和43)年
1966(昭和41)年に描かれた右隻は、《第30回新制作協会展》へ発表された当初、現状の4人の舞妓の他に“3人の舞妓裸婦”が描かれており、着衣と裸婦の7人の舞妓が妍を競うように竹林に立つ図であった。この時、タイトルを『舞妓(未完成)』とし、「“3人の舞妓裸婦”は消す予定である」と話し、その言葉通りこの3人は金箔と絵具の下に消えた。
この2年後の1968(昭和43)年に左隻が完成した翌年、《轟会第10回展》と同時開催された自選展において両隻揃って展示され、画家が目指した「竹林の七賢人を模した図」が完成したかと思われた。しかし彼はその後「やはり右隻の“3人の舞妓裸婦”を消すべきではなかった」と悔い、このことを晩年までずっと言い続けることになった。本作は、画家・石本正が長い生涯の中で唯一《後悔》を語った作品である。いまでは、右隻の消された舞妓たちの輪郭が金箔地に微かに浮き出る様子を確認できるのみだ。
また、左右の舞妓の顔を見比べると、表情が随分違っている事に気が付く。“田舎娘風”の右隻に対し、洗練された“お姉さん風”の左隻。これは2001年以降浜田市(三隅町)へ寄贈する際、画家が左隻の3人の顔を描き直したためである。発表から数十年経って改めて作品と対面し、後悔を抱え続けた本作に手を入れずにいられなかったためだろうか。